「時間の終焉」クリシュナムルティ著

クリシュナムルティとデヴィッド・ボームの対話集。
ボーム博士は著名な物理学者で、クリシュナムルティとの対話を読者にわかりやすいようにうまく誘導してくれます。
この本の前半では、これまでの著作でクリシュナムルティが言ってきたことを言っているなあと思っていたのですが、第9章あたりから、実はクリシュナムルティの言っていることは、哲学的というよりむしろ脳科学的なことであると思うようになりました。
精神的な過去とは、現在にその都度、内部記憶や外部記憶から構成した想像上の産物。過去は現在には存在しない。
人は無意識のうちに常に過去を記憶から作り出して、現在に過去を通して判断を行う。例えば、記憶能力が発達していない赤ちゃんはいないいないばあ遊びを行うことができるが、大人は隠れている部分に何があるか記憶から推測できる。
問題は、記憶から作り出した過去というパターンと現実を混同してしまっていること。
風景を見ている時、風景と心は一体化している。後できれいとか感想を思った時、その心と見た時の心は同じではない。記憶に入れてパターン化すると元とは違ってしまうのだな。
この辺りまではいいとして、その先の基底の話が難しい。仏教の無我まではわかっても、涅槃がわからないのと同じ。空(=縁起)が基底のことだと思うのだけど、人間のOSの最深に基底、涅槃的な要素があるのだろうか?要素とか言ってるからいかんのだろうか・・・
クリシュナムルティが人間の精神は共通しているとうのは理解できるんですよ。人間の精神を形作るOSは動物的低レベルから、言語や文化、地域社会、家族といったレベルで段階に応じた共通の基盤があるから。