最初は菩提達磨から始まる中国禅の人の体験談で、その後は主に臨済宗の前近代から近代の体験談。
筆者の分析によると、悟りはいくつかの段階を踏むもので、最初の自他亡失体験は他の宗教でもありがちでこれだけでは悟りじゃない。自我の解消から叡智の獲得に至って悟りとのこと。このへんがアドヴァイタ系と仏教の違いなのかな。世界と俺は同一だ!で悟っちゃうのはアドヴァイタ系でよくある気がする。
曹洞宗の中には悟り否定派があって、沢木興道の影響が大なのだそうな。
自分語りになっちゃうけど、私は学生の頃、人の言動にとても悩んで、風呂の入っているときにふいに、自分があることについてこうだと思っていることとあることは全く乖離している。考えるということは幻想に近いと悟って、楽になったことがある。宗教は仏教の無常無我を除いて幻想だなと確信した。最近になってサピエンス全史で考えたことに近いことが文章化されてて、この作者は言語化してすごいなあと関心した。