「後水尾天皇」熊倉功夫著

江戸幕府が成立した頃に即位した後水尾天皇の評伝です。
後水尾天皇は1596年に生まれ、1611年に即位、1630年明正天皇に譲位、1680年に崩御されました。
昭和天皇についで長寿の天皇です。妃は秀忠の娘和子。
和子の子供を次の天皇にするという幕府の意思があったんですが、結局和子との間に男の子は育たなかったので、娘が明正天皇として即位して、それ以降には徳川の血は入らなかったんですな。
後水尾天皇が退位するまで和子以外の相手の子供は生まれなくて、どうも幕府が裏で子供を処理してたみたいです。このあたりの話は隆慶一郎の「花と火の帝」にも出てきます。
退位した理由の一つに、単なる武家の娘である春日局が幕府の圧力で官位を与えられて参内するということもあります。
退位した後は子供が生まれて、明正天皇以降は後水尾天皇の息子が継ぎました。
後水尾天皇は江戸時代初期の寛永文化の中心だったということもあり、なかなか見所の多い人物であります。