「「豊臣政権の貴公子」宇喜多秀家」大西 泰正著

資料分析から宇喜多秀家について述べた新書。

宇喜多氏の権力基盤は豊臣秀吉の引き立てによって成り立つ。

本能寺の変直後の秀吉傘下唯一の国持大名ということで、秀家自身は子供だったものの、政権上位に位置づけられる。

秀吉が幼少期から養育していた前田利家の子の豪姫との婚姻が非常に重要。

朝鮮の役では、秀吉が渡海しなかったため、事実上の総司令官として扱われる。

秀吉の晩年には五大老の一人として位置づけられるが、最も年少だったため扱いが若干形式的。

秀吉没後はその威光が薄れてしまい、家臣統制に失敗。秀家は統制できず他の大名が仲裁することに。

関ケ原戦後は八丈島に流されて、豪姫の実家の加賀藩の援助で余生を過ごす。

文献上では秀家の意思や性格が読み取れるような文はほとんどない。

読んだ印象では、性格が破綻していたり、明らかに無能という感じではないものの、与えられた役割に能力が追いついてなかったという感じ。