興亡の世界史 オスマン帝国500年の平和

講談社学術文庫

オスマン帝国オスマン家の国であって、トルコ民族の国ではないんですよ、という出だしから目からウロコ。アナトリア西部発祥であっても、初期の発展はバルカン中心で、キリスト教徒も多い。アナトリア東部は後の方まで勢力圏外で、敵対勢力にトルコ人も多い。

中央集権制度でありながら、地域によって統治の仕方を変えるという柔軟性。

近代になって、イェニチェリが時代遅れになったら、イェニチェリを廃止して近代的な軍隊を作ることができたという柔軟性に驚き。結局国民国家の流れに耐えられず、分裂の憂き目に合うのではあるが・・・