「関ヶ原合戦 家康の戦略と幕藩体制」笠谷和比古著

講談社学術文庫関ヶ原合戦を単一の戦いとしてみるのではなく、その前の政治的な流れ、日本全体の動向、戦後処理についての考察。
秀忠が率いた軍が徳川軍本体であり、家康が率いたのは小身旗本が多く、関ヶ原合戦は家康には不本意な戦いであったこと。井伊直政が抜け駆けした理由。戦後は一般に思われているより豊臣家の威光は残っている、等の考察がなされていました。
関ヶ原で決戦が行われたのは今では必然的だと思われていますが、実際は針の穴を通すような偶然の積み重ねで関ヶ原での決戦に至ったので、それ以外の経過をたどる可能性のほうが高かったような気がするのですよね。
島津の伏見籠城参加、山ノ内の掛川城献上、岐阜城早期陥落、京極の大津城籠城、小早川の松尾山城布陣等々無ければ、決戦地が濃尾平野になる可能性が高かったわけですし、さらに戦役の様相が変わってきそうです。第二次小牧合戦になってたりして・・・