「新説 家康と三方原合戦: 生涯唯一の大敗を読み解く」平山 優著

浜松城の補給線が浜名湖水運にあるとの指摘で、信玄が三方原に進出して西方に向かったのは浜名湖水運を握るためという仮説。

家康は信玄の意図に気付いたので、阻止するために決戦せざるを得なかった。

今の浜名湖パルパルにあったのが堀江城で、浜名湖水運の要衝。ここを制することで、東海道浜名湖と海をつなぐ今切を制することもできるし、浜名湖北部の姫街道とかの封鎖も容易になる。

家康が浜松城の前に居城とすることを考えていた見付城というのがあるそうで、調べたら今は野球場なんですな。堀江城も見付城もそれだけのために見に行くのはしんどいな。