「朝鮮戦争 3」児島襄著

ソウルが四回陥落するほどの激戦の末、38度線付近で膠着状態に陥った。休戦会議が開始されたものの、当初は1ヶ月で終わると思われた会議は結局二年間続き、一年の激戦の後終結まで二年の膠着状態になった。その間も休戦会議で有利な条件を得るために熾烈な陣地取り合戦が続く。
二年の間、後方では部隊の横領事件で数万の韓国青年が餓死したり、捕虜収容所が共産主義者に乗っ取られて所長が監禁される、李承晩大統領が休戦を嫌って画策するなど不穏な状況が続くも、1953年スターリン死去後は共産側は強硬な態度が一変して休戦会議が進み、ついに1953年7月27日休戦協定が締結されたのであった。