「執権 北条氏と鎌倉幕府」細川 重男著

執権、得宗とは何か、北条氏はなぜ将軍にならなかったのかという疑問に対する回答。

義時と時宗をメインに語られます。

義時は次男で、江間家を立てていて、北条氏の嫡流ではない。13人の合議制度で時政と義時二人が入っているのは、北条氏が偉いから親子が入っているというより、北条氏の時政と、頼朝の家子の江間義時が入っていると考えると自然である。

義時が時政を追放して正嫡のような感じになったけど、元は正嫡だった名越家と抗争の種が残ることに。

義時が武内宿禰の生まれ変わりとされたのは、朝敵認定されて生き残ったのは武内宿禰まで遡らないとないからだそうな。承久の乱で勝ち残ったことが、北条氏が実権を握る正当性の根拠となる。

時宗は生まれながらの執権で、元寇の危機に相まって、権力の一極集中が極まった独裁者に。この本を読むまでは、ここまで独裁していたとは知らなかった。真面目な性格で、勤勉に独裁しすぎて早死しちゃったのね。時宗の介入によって皇統の分裂になり、南北朝の原因になったそうな。