「ふしぎな鉄道路線: 「戦争」と「地形」で解きほぐす」竹内 正浩著

明治時代の鉄道路線がどのように決定されたか。

ほぼ陸軍が外国の攻撃に弱い沿岸を避けて内陸に引こうとするのと、コスパを気にする民間との勢力争いです。

東京と京都を結ぶのが最初の大目的で、中山道に決定していたが、予想より傾斜がきついのとトンネル多すぎで、東海道に変更された。京都-大津-連絡船で長浜-大垣までは開通してたので、それを利用して東海道に敷設した。愛知県に最初に開通したのは港を利用するための武豊線だったのね。

本線の八戸駅と市街中心の本八戸駅が離れているのは、八戸市街が海に近すぎるから。

下関の関門海峡をトンネルにしたのは軍が押し切ったからだけど、太平洋戦争ではこれが功を奏して、最後まで不通にならなかった。米軍は関門トンネル破壊作戦を企画していたから、九州上陸作戦が発動してしていたら関門トンネルは破壊されていた可能性が高い。