「京都を壊した天皇、護った武士: 「一二〇〇年の都」の謎を解く」桃崎 有一郎著

京都の御所の歴史。

大内裏は大きすぎて実用的でなく、早々に廃棄されて内野という荒地に。室町時代の京都における合戦地として利用される羽目に。

仮の内裏のはずの里内裏が定常化。燃えるたびに内裏は点々としまくって、幕府が予算を用意して復旧してもすぐ燃える・・・

武士は内裏を燃やさず、むしろ後鳥羽や後醍醐が燃やしたという。

応仁の乱の後に、日野富子が、東西両軍とも内裏は燃やさないという約束があったと言ってたというのは本当かいな・・・

天皇が滅ぼされたなかった理由として、天皇が日本の秩序の中心だったからという理屈は納得できる。日本の普遍的なものさし座標系として、重要というのはそうだろうな。

花園天皇の子とされていた直仁親王が実は光厳天皇の子だったという記述に、本当かよとびびったが、実際に光厳天皇の書簡に記載されているんだな・・・NTR多杉!