「源義経の合戦と戦略 ―その伝説と実像―」菱沼一憲著

文献の比較検討で義経の実像を探った内容。

物語だと義経は奇襲とか新戦法を駆使したような感じですが、実際は事前準備や地方勢力との調整に時間をかけて合理的に作戦を進めています。

また、政治性がなかったので頼朝の怒りをかって滅びたという書き方をされていますが、実際は当初は軍事担当は範頼で、義経は京都の朝廷調整担当だったこと。朝廷との関係は良好で政治力はあったように推測されることが示されます。

無断任官問題も裏付けに乏しい。

義経が失脚した原因として、義経は西国の勢力を重視していたのに対し、鎌倉幕府は東国武士を重視していたからと示されます。